石川さんは無実 新証拠の核心に迫る連続講座 2022/3/12

「新証拠」の核心に迫る第4回狭山事件連続講座が2022年3月12日にエルおおさか708号室でひらかれた。

 狭山事件の有罪確定判決である寺尾判決で客観的な有罪証拠とされた証拠について学習した。スコップの平岡鑑定について小野順子弁護士が報告。万年筆の下山第二鑑定について高橋俊彦弁護士を講師に予定していたが、体調不良により、中央本部の安田聡さんが講演を行った。

 

平岡鑑定について小野順子弁護士が報告。

 元京都府警科学捜査研究所主席研究員の平岡義博・立命館大学教授は油脂と土壌に関しての鑑定を提出した。

 死体発見現場から約125メートルの麦畑で発見されたスコップは石川さんがかつて働いていたI養豚場から盗んで死体を埋めるのに使ったものであることが自白を離れて認定できるとされてきた。その根拠は埼玉県警鑑識課のスコップ付着土壌と油脂の星野鑑定で平岡鑑定はその内容を見て再評価しスコップ付着土壌に死体発見現場付近の土と類似するものがあったという埼玉県警鑑識課の鑑定の結論は誤りであると指摘している。死体発見現場の土ではなく周辺の土を観察した経緯について平岡さんは、たとえば首をネクタイで締められた殺人事件が起きた時、凶器となったネクタイではなく似た様なネクタイを証拠として採用するようなもの。遺体を埋めた場所の土を採取せずに付近の土を調べるのは何の意味があるのかと指摘。

 平岡教授は現場周辺の地層も調査し、何万年もかけて関東ロームが堆積された経緯や死体が埋められた穴ふきんの堆積について説明。

 死体を埋めた付近には地層が赤土と黒土があるが開墾されていくと火山灰の赤土が黒土に変わり層が薄いので耕すと赤土が混入していく。先に開墾された畑と後で開墾された畑の境に死体が埋められた穴が位置し、現場の特性から少し場所が違っただけでも違う土壌である可能性がある。

 星野鑑定で土を鑑識するときにどのくらい掘って採取したかなどの場所を明確に記載しているはずで、その資料の開示を求めているが検察官はないとしか言わない状態が続いていることから今後も継続して開示を求めていくことなどを話した。

 

 下山第二鑑定について安田聡さんが報告。

 被害者のものとされる万年筆が石川さんの自白で石川さん宅の鴨居から発見された。警察は石川さん宅の家宅捜索を1回目は12人の警察官が2時間17分かけて行い、2回目は14人の警察官が2時間8分の家宅捜索を行っても発見されなかったのに、3度目の家宅捜索で発見され、兄に素手で取らせるなど不自然なことが多い。

1963年の荏原鑑定では発見万年筆のインクと被害者のインク瓶、日記、手帳と比べるために、ペーパークロマトグラフィー検査で鑑定し異なると出ている。その鑑定書を検察官は裁判に出さなかった。弁護団は最高裁の段階で荏原鑑定で「裁判の証拠になっていないんだから証拠に基づかない主張である」とインクの違いを判断しなかった。荏原鑑定は1回目再診請求の時に新証拠として提出した。

 2009年門野裁判長によって3者協議が開かれこれまで多くの証拠が開示された。被害者が使っていた万年筆のインク瓶が2013年に開示され、パイロット社に確認しインクジェットブルーインクだと初めてわかった。成分を調べるとそのインクには鉄が入っていた。

発見万年筆は裁判所に証拠物として保管されているが荏原鑑定の時にインクを全部使っていたので比較することができなかった。弁護団は諦めずに当時の万年筆に関わる捜査資料の証拠開示を請求し続けた。1963年7月に発見万年筆が被害者のものであるかどうかを被害者の兄が確認した時に書いた数字が2016年に開示された。

 

下山進・吉備国際大学教授に依頼し、蛍光 X 線分析装置を使いインクに含まれる元素を分析。

事件当日、被害者が一時間目の授業でペン習字の清書を書いた用紙や発見万年筆で兄が書いた数字、インク瓶の中にX線分析を当て調べた。被害者の万年筆にはクロムが検出されたのに発見万年筆にはクロムが検出されず証拠の万年筆被害者のものはないことを客観的、科学的に明らかにした。X線発生装置と検出装置の機械を作る為に一年の準備をかけて分析装置を作り、調べることができた。下山第二鑑定は2018年8月に提出した。

 検察は反論で、被害者は万年筆を水洗いして別インクを入れたことが推認されるとするがそれを裏付ける根拠は何もない。可能性があるから被害者のものでないとは言えないという言い方をさせないようにしないといけない。下山第二鑑定によって合理的疑いが生じている。

 他にも原厳島鑑定では、狭山事件を知らない大学生12人へ復元された石川さん宅のお勝手の中で物を探す実験を実施。全員が30分以内で鴨居の万年筆を発見した。素人でも気づくのにプロの警察官が2時間以上の2回の家宅捜索で見つからないのはどう考えても不合理と言える。裁判所は見えにくい場所は見落とすと言ってきたが家宅捜索は体を動かして探している。見落とすという言い方を探す行為に当てはめるのは間違っているなどと述べた。


石川さんに脅迫状は書けない  森鑑定が報告 2022•2•26

 「狭山の新証拠分析から~狭山事件を識字研究発展の立場から捉える~」が2月26日にひらかれた。部落解放・人権研究所の「識字・成人基礎教育研究会」公開研究会の主催。 

 石川さんが脅迫状を書けないことを証明した大阪教育大学名誉教授の森実さんが、新証拠について説明した。

 検察は石川さんが脅迫状を書いたと主張する理由の中で石川さんは脅迫状よりも前に漢字を含めた文書を書いていることを理由にしている。森さんは「ここを崩せば検察の主張は崩れるはず」と1955年に文部省がおこなった国民の読み書き能力調査結果と取り調べ録音の分析結果を踏まえて当時の石川さんは部落差別によって文字を奪われた非識字者であり脅迫状を書けなかったことを証明している。

 取り調べ録音テープには警察官に文字を教えてもらいひらがなの綴りの指導をうけて書いた地図や略図にはひらがなの綴りがちゃんと書けていないものが多い。

 録音テープには警察官が石川さんへ対して「文字の読み書きができねえと思っていたがこれほどだったとは」と嘆く声が何度も出ている。 

脅迫状を書いた犯人は意図的に読み書きできないふりをするために当て字で元々の読み方と同じ漢字を使いほぼ正確に句読点が打たれている。石川さんは句読点をほぼ打てない。逮捕当時の石川さんの読み書き能力は小学校一年生修了レベルに達していない。

 逮捕される前に石川さんが書いたとする文章は以前働いていた工場で休暇届などの用紙に記入したもので漢字は石川さんの名前、住所だった。名前も「一雄」ではなく「一夫」、休暇届の理由の「頭痛」という文字は「ずツ」と書かれている。

 石川さんは刑務所の中で刑務官に教えてもらい文字を習得できたことなどを説明した。

 

 識字教室ボランティアに関わる参加者からは、「現地調査に出向き石川さんの無実を確信した。」、「教室の中で学習者と文字を学ぶやりとりと同じように石川さんは取り調べの中で文字を書かされていた。不安な中で文字を書く姿を考えると胸が苦しくなる」、「文字の読み書きができない人がいること、識字の状況を全く知らない中で裁判が行われていることに驚いている」「脅迫状には文字に慣れた人が書いていることが明らかで石川さんの文字の習得の仕方と全然違う」などの意見が寄せられた。

 今年は水平社宣言から100年を迎えることから現代版「識字・水平社100年宣言」を作ることを呼びかけた。9月に開催される全国しきじ経験交流会で発表する。

脅迫状の筆跡は99.9%別人 第3回連続講座  2022/2/23

「新証拠」の核心に迫る第3回狭山事件連続講座が2022年2月23日に大阪市中央区のエルおおさかでひらかれオンラインを含め約70人が参加した。講演では「99.9%別人の筆跡・福江鑑定」について竹下政行弁護士が、「脅迫状は書けなかった・森鑑定」について七堂眞紀弁護士が証拠の内容を説明。大阪教育大学名誉教授の森実さんも参加し「狭山と部落運動」について、講演をおこなった。

 

寺尾判決は、脅迫状と石川さんが逮捕される2日前に書いた上申書は同一人物の筆跡と判断した警察側の筆跡鑑定を有罪証拠とした。

竹下弁護士は警察の鑑定人の観察による字の形の類似性や相違性を見て同筆かどうかを判断する伝統的筆跡鑑定であり、個人の経験に基づく主観的判断で、警察による鑑定であることからなおさら信用できないと指摘。

 福江潔也判定ではコンピュータを用いた画像解析の方法を活用し筆跡鑑定をおこなった。脅迫状と上申書、関巡査宛ての手紙の筆跡を比較し、共通している「い、た、て、と」の4文字をコンピュータを用いて重ね合わせ、「同じ人でも全く同じ字形ではなく違いがある書きムラ」と「人によって同じ字を書いても字形に違いがある書きぐせ」のズレ量を計測し、その分布を調べると同じ人が書いた時のずれ量よりも大きいことが明らかで99.9%の識別精度で別人だという結果が出ている。

 ほかにも第48回三者協議で提出した笹倉香奈・甲南大学教授による意見書について説明し、アメリカで80年代に筆跡検査がどこまで有効なのかを実証研究した論文をきっかけに、従来の形態比較によ る筆跡鑑定の科学性に疑問が指摘され、実際に筆跡検査が証拠として 採用されなかった裁判例等について報告した。

 

 「識字とえん罪」をテーマに森鑑定について七堂眞紀弁護士が講演。森鑑定は1955年に文部省がおこなった国民の読み書き能力調査結果と取り調べ録音の分析結果を踏まえて当時の石川さんは部落差別によって文字を奪われた非識字者であり脅迫状を書けなかったことを証明している。

石川さんは部落差別の結果、小学校へ満足に通えず、読み書きも十分に習得できなかった。石川さんが書いた上申書や取調べで誘導されて書いた図面には、「がっこう」を「がこを」、「ふうとう」を「ふんとを」と書き、小学校で学ぶ「っ」の促音や「ゃ」「ゅ」「ょ」の拗音などが正しく書けていない。

一方、脅迫状は、書く内容を意識して無駄がなく端的に目的を書いている。脅しの部分や重要な部分はくりかえし大きな文字で書き、当て字はあるが誤字はなく、促音や拗音も正しく書くなど、筆記能力が高い人が書いているとしか思えない。

七堂弁護士は石川さんの当時の筆跡などを紹介し「取り調べの録音テープを聞くと警察官が石川さんに一文字ずつひらがなの文字を教えていた。(脅迫状には多くの漢字があるのに)警察が漢字で書くように指導した場面は一度もでていない」。日本は識字率が高いというが調査結果では十分な読み書き能力を持たない人たちが5-7割いることなどを証明し石川さんが脅迫状を書けなかったことを証明した森鑑定は素晴らしいなどとのべた。

森さんは長年識字・基礎教育研究にたずさわる。国民の読み書き能力調査結果の後に日本政府は日本の識字率が99、9%と国連で報告したが日常生活で必要な読み書き能力を持っている割合は低い。狭山事件の脅迫状には句読点が適切に使われているが、石川さんが書いた文章には句読点が全くない。実際に読み書き能力を身に付けるには重要で学ぶことができなかった人が読み書きを身につけていく姿差別を受けて学校へ行くことができなかった差別の生き証人と言われる。石川さんの獄中での闘いについて「識字運動のそのもの」であり「識字は教育の原点という意味も重要で狭山を学ぶことは識字、基礎教育について考える実践的研究の土台といえる」などとのべた。

  会場参加者へ狭山支援カンパを呼び掛け、10338円のカンパが寄せられた。

 

新証拠の核心に迫る 第1回狭山事件連続学習会  2021/12/4

 「新証拠」の核心に迫る 狭山事件連続講座の第一回が2021年12月4日にHRCビルでひらかれた。新型コロナ感染予防のため、リモートでも参加を呼びかけ会場と合わせて100人以上が参加した。

 狭山事件は第三次再審で2009年にはじめて裁判所、検察、弁護士による三者協議が始まり、裁判長の証拠開示を勧告によって開示された191点の証拠をもとに弁護団はこれまで246点の新証拠を提出し石川一雄さんの無実を科学的に証明してきた。検察官の反論を出し切ったうえで来年には事実調べを求めていく。連続講座では58年前に密室の取り調べによってウソの自白に追い込まれた経過や最新の新証拠などについて4回にわたり学習する。府連、府民共闘の主催。

 

 主催者を代表して府連の赤井隆史委員長があいさつ。事件当時の新聞各紙には、部落青年ならやりかねないといった部落差別、偏見に満ちた内容で事件から長い年月が経過した今も部落地名復刻版裁判のように出身者を暴く行為は起きている。狭山事件を全国的に呼び掛けたのは大阪の運動であり、その中心は共闘の仲間でもあった。大阪から世論を構築する場になる学習会にしたいなどとのべた。

 第一回目は「部落差別が生んだえん罪事件」をテーマに部落解放同盟中央本部の安田聡さんが講演をおこなった。安田さんは狭山事件発生当時の社会状況やマスコミ報道など部落差別によって石川さんが犯人とされた経緯や、寺尾判決で有罪の根拠とした7つの客観的証拠について無実を証明する新証拠などについて解説した。

 閉会挨拶を府民共闘会議の中野勝利議長がおこない「一日も早く再審開始に向けて署名活動を含めた取り組みを展開していきたい」などとのべた。

 講演内容の一部を紹介します。

 

 狭山事件は1963年5月1日に埼玉県狭山市で起きた女子高校生強盗誘拐殺人事件で警察は身代金引き渡し場所で犯人を取り逃がしその後死体が発見された。

警察は事件の数か月前にも児童誘拐殺人事件で同様の失態を起こしたことから、狭山事件は国会で追及され警察への非難の声が高まり警察庁長官が辞任するなど追い詰められていた。

 事件後、被害者の家で働いていた男性が自殺するなど不自然な点があったが埼玉県警では生きた犯人を捕まえろと指示が出され死体発見現場の近くの駅の裏にある被差別部落に見込み捜査がかけられていく。

 脅迫状は事件当日の5月1日午後7時頃に被害者宅で家族が食事していた土間のガラス戸に挟まっていた。脅迫状には当て字があるが誤字がない。石川さんは部落差別によって小学校に通えず、当時は文字を書けなかった。

 5月11日に死体発見現場近くでスコップが発見され、翌日に持ち主がわかったと警察が発表した。石川さんと同じ被差別部落のIさんの養豚場から盗まれたものとされたがその養豚場のスコップの鑑定はおこなっていない。47年ぶりに開示された5月21日づけ捜査報告書には「この養豚場でかつて働いていた石川一雄なら養豚場からスコップを盗むことができる」と書かれて逮捕前から狙われていた。

 石川さんが別件逮捕された5月23日の新聞には「環境のゆがみが生んだ犯罪」などとマスコミ報道が差別に加担しえん罪が作られていった。

 1969年の全国大会で石川さんの両親が初めて訴えたことにより大阪の青年が「一人は万人のために万人は一人のために」をスローガンに無実の部落青年が死刑にされようとしていると全国行進をおこない狭山闘争にとりくみはじめた。

 74年の東京高裁で寺尾正二裁判長が無期懲役判決を下し、77年に最高裁が上告を棄却。再審請求は,確定判決に対して無罪を言い渡すべき新たな証拠が発見された場合などに行うことができ、75年には最高裁判例で「有罪証拠に合理的な疑いが生じる場合でいい」と判断している。

 三者協議で証拠開示が実現し門野裁判長退官後も検察に開示を促している。新証拠により寺尾判決が挙げた有罪証拠がことごとく崩れている。

 自白にそって被害者の持ち物が発見されたとするが万年筆は二度の家宅捜索で見つからなかった後に発見された。寺尾判決では「鴨居の上は背の低い人には見えにくく家宅捜索で見落とした3回目で見つかったのは不自然ではない」という。

その後、家宅捜索をした警察官に会うと身長が178センチも高く判決には不自然な点が多くある。

 石川さんの顔なじみの関巡査の報告書が47年ぶりに開示され、「石川さんが死体はどうなっていたか教えてくれと私に聞きました」と書かれていた。

 典型的な冤罪の事例で犯人の動きを説明できないことがはっきり表れている。

 三者協議では取り調べの録音テープが重要だと常に裁判長に訴えている。

 自白するまでの取り調べ録音テープが2010年に開示され3人の警察官が入れ代わり立ち代わり「お前が書いたことは間違いない」などと詰め寄り何度も自白を強要していた。

 裁判で取調官の証人尋問では「犯行をすらすらと自白した」と証言したがそういう場面は全くない。自白直前の場面を再現したDVDをみれば自白の強要だということがわかる。

 石川さんは今も見えない手錠がかかっているからと両親のお墓に手を合わせられずにいる。

 

 来年は鑑定人尋問、再来年は再審開始をめざし再審で無実を勝ち取りたい。


一日も早く再審無罪を 貝塚で狭山学習会  20201113

 部落解放岸和田貝塚市民共闘会議、狭山学習会が部落解放同盟貝塚支部と部落解放岸和田貝塚市民共闘会議共催の狭山学習会が2020年11月13日に貝塚市立ひと・ふれあいセンターでひらかれ約50人が参加した。

 主催者を代表して貝塚支部の北出新司支部長が開会あいさつで「狭山事件が発生してから57年が経過した。解放同盟として最初にこの事件にかかわったのは当時の青年だった。57年間、大きな課題として取り組んできたが、1日も早く無罪を勝ち取るためにも狭山事件の現状と課題について、学習を深めていきたい。」と語った。
 学習会では「狭山事件・部落差別に基づくえん罪事件」をテーマに府連の貝田歩組織部長を講師に、狭山事件の現状と課題について学習をおこなった。
 狭山事件は1963年5月1日に埼玉県狭山市で女子高生が行方不明になり死体で発見された。警察は付近の被差別部落に見込み捜査を集中し、当時24歳の石川一雄さんを別件逮捕。罪を認めれば10年で出してやると警察に騙され「ウソの自白」を自供させた。
 学習会で貝田さんは、「ウソの自白」をもとに事件当日の足取りを紹介。石川さんを見たという目撃者が一人もいないことや石川さんの指紋が一つも検出されないなどの事実を紹介し「石川さんの無実は明らかであり、2009年から三者協議で190点以上の証拠開示がおこなわれた。重大な証拠の一つでもある万年筆や、被害者と石川さんの筆跡は99.9%違うこと等が、石川さんの無実を証明している。これからは、みなさん市民が一体となった取り組みによる世論構築が重要になってくる。」と訴えた。

重大な証拠の一つでもある万年筆のちがい、筆跡については被害者と石川さんの筆跡が99.9%ちがうことなどがこれまでの証拠開示によって明らかとなった」ことについて学習を深めた。
 南野敬介副支部長より「各組織ごとに要請はがき行動の完遂を」との行動提起の後、部落解放岸和田貝塚市民共闘会議の澤田元博議長より、「先ほどの講演と行動提起でもあったように、第三次狭山差別裁判の闘いは重要な局面を迎えている。狭山要請はがきに取り組み、再審開始に向けた取り組みをさらに強化しなければならない」と閉会あいさつをおこなった。   


発見万年筆は偽物 高橋弁護士が講演 2019/11/19

部落解放地方共闘全国交流会の二日目、2019年11月19日に狭山学習会と現地調査がおこなわれました。狭山事件のいま~下山鑑定を中心に~をテーマに狭山弁護団の高橋俊彦弁護士が講演をおこないました。

 石川さん宅で発見された万年筆が、被害者の万年筆ではないことを証明した下山第二鑑定が2018年に新証拠として提出されましたが、検察は一年以上が経った今も反証できずにいます。

 万年筆の発見方法もおかしなてんが多く、二度の家宅捜索で発見されなかった万年筆は3度目の家宅捜索で発見されました。(いつも玄関から入っていた警察官はその時はなぜか万年筆が発見された鴨居がある勝手口から直接入っていくなど不審な点が多くありました。)

 弁護団はインクで書かれた文字を分析したらどうなるかと考え、絵画や文化財などの顔料や資料を蛍光X線分析している下山進・吉備国際大学名誉教授に鑑定を依頼。検察庁へ閲覧手続きを申請し、検察庁へ蛍光X線分析装置を持ち込み保管されている証拠品①被害者が使っていたパイロット製ジェットブルーインク友人が持っていたブルーブラックのインク③事件当日被害者が書いたペン習字④石川さん宅で発見された万年筆で被害者の兄が書いた数字⑤被害者が立ち寄ったときに補充したとされる郵便局のインクを分析しました。分析結果では特徴がある元素として①と③にはクロムが、④、⑤には鉄が検出されました。発見された万年筆が被害者の万年筆であったとは言えないことが証明できました。高橋弁護士はそれが証明できたときの様子を紹介し「バンザイしたい気分だったが検察の職員もいる中で飛び上がることができなかった」などと語り、3度目の家宅捜索で発見した経過は誰が見てもねつ造でしかないが再審ではその主張を証明していかなければならなかった。立証がどこまでできるか厳しく、下山第二鑑定は別の視点から科学的に証明できた。分析は誰がやっても同じ結果しか出ず、検察がどんな反証をしてくるのか想像がつかないなどとのべました。

  2部では密室の取り調べでウソの自白に追い込まれた石川一雄さんの自白に沿って駅前から犯行現場とされた場所などへ現地調査をおこないました。

 狭山事務所へ到着すると石川一雄さん早智子さんが出迎えてくれ、石川さんは「来年こそは切磋琢磨に闘っていく。一日も早くえん罪が晴れるよう今後ともさらなる支援をお願いしたい。」などとあいさつしました。

 

 

一日も早く再審開始を     2019/10/31

 20191031日に日比谷公園で狭山事件の再審を求める市民集会がひらかれミュージシャンのうじきつよしさんがオープニングを飾った。

 石川一雄さん、早智子さんのあいさつを紹介する。

 石川さんは「今から45年前の今日、寺尾裁判長は無期懲役という不当判決を下した。東京拘置所を出るとき(係員も戻ってくると予想していなかったが)寺尾の不当判決によって拘置所へ戻り現在に至っている。自分の信念を曲げずに今日まで来た。新証拠によって(証人尋問をおこなえば)私の無実が明らかになるはず。これからも忍耐強くたたかっていきたい」などとのべた。

 早智子さんは「刑務所の中で看守から文字を学んだ一雄さんは自分の置かれている状況を初めて知り、怒りに震え眠れなかった日々があった」とのべ当時の短歌を紹介し、「何度も何度も絶望に淵から這い上がれたのは多くの支援の方のおかげ。今80歳。石川の喜びは書くことと読むことだったが今は目も耳も不自由になっている。えん罪が晴れたら夜間中学校に通うことが夢を持ち続けている。再審の門をひらかせ勝利しない限り、石川の見えない手錠を外すことができない」とのべ支援を呼び掛けた。

 

  えん罪被害者の布川事件の桜井昌司さん、足利事件の菅家利和さん、袴田事件の袴田巌さんの姉の秀子さんも駆け付けた。狭山弁護団に新たに元検事の壬生隆明弁護士が加わりあいさつで「正しいことを実現させるため誤った裁判を正していきたい。一人の法曹人として良心に従い皆様とともにえん罪を晴らしていきたい」とのべた。

 



住吉で狭山集会

 狭山学習会が住吉住宅集会所で2019年10月29日にひらかれ34人が参加した。部落解放同盟住吉支部と浅香支部、大阪市職員組合住吉支部、大阪市教職員組合に支部で構成する住吉「狭山」解放共闘が企画した。

 狭山事件について部落解放同盟大阪府連の高橋定副委員長が講演をおこない、事件当時、被差別部落に焦点をあてて捜査が進められていったことや当時の新聞記事には「悪の温床」などと部落差別による偏見、差別に満ちた記事があふれていた。第三次再審で実現した三者協議によって開示された証拠をもとに200点以上の新証拠などを紹介し、再審無罪を勝ち取るまで共にがんばろうなどとのべた。

 二部の共闘交流会では地元住吉支部で長年狭山運動を続けてきた梶川さんが参加。梶川さんは事件のあとすぐに「これは遠い狭山の石川君ひとりの問題じゃない。私らの息子の問題や」と50年以上前から石川さんに手紙を書いたり署名運動にとりくんできた当時をふりかえり、「一緒にとりくんできた婦人部(現在は女性部)の仲間はもう二人しか残っていない。若い人たちが狭山にどうとりくんでいるのかを聞きたくて参加した」とのべた。無罪を勝ち取るまで地域で狭山事件にとりくんでいくことを参加者一同で確認した。

 

現地調査で、無実を確認

狭山事件の再審を求める市民集会の翌日、2019年5月24日に現地調査をおこないました。5月なのにカンカン照りの猛暑のなか、中央本部の安田さんの案内で石川さんの自白に沿って事件現場を歩きました。事件から56年が経過し、かつてそこにあった雑木林、桑畑だったところが今はマンションや一戸建てが並ぶ住宅街に変わっていました。風景がちがうと現地調査はわかりにくいのではという不安もありましたが、事件当日に石川さんが歩きはじめたとされる駅からの時間から出会い地点までの距離や時間、被害者の女子高校生が学校から出て出会い地点につくまでの時間をくらべてみるとおかしな点だらけでした。

 最後に石川さん宅を再現した鴨居をのぞき、参加者は「2度の家宅捜索で万年筆は本当に見つからないわけがない」と石川さんの無実を確信しました。

安田さんは最近新証拠として提出した心理学鑑定を紹介。

 

狭山事件の予備知識がまったくない12人の大学生に警察官のマニュアルに沿って家宅捜索のやり方を説明。お勝手場の中に万年筆、ボールペン、腕時計、財布、ノートを隠し探してもらうと30分以内で全員が発見できた。

 万年筆の発見経過に矛盾点が多く、裁判で弁護士が指摘したが裁判所は「鴨居は背の低い人には見えにくい」と有罪根拠としている。心理学者は「この実験をもとに警察が家宅捜索で見逃したということは考えられない」と鑑定書を提出しました。

 初参加の青年からは「事件があるということは知っているが初めて現地に出向き説明を聞いていくととらえ方が違い、本当にやっていないことがわかった。一人でも多くの仲間に声をかけていきたい」などとのべました。

 

 

証拠開示すれば無実は明らか   名古屋全研で訴え

 

2019年10月に名古屋でひらかれた部落解放研究第53回全国集会の分科会「狭山事件の再審とえん罪防止にむけた課題」で石川一雄さんと東住吉えん罪事件の青木惠子さんが報告したので紹介します。

 

石川さん 

三者協議で提出した証拠について検察が反証するといいながら一年以上も反証できずにいる。後藤裁判長が再審開始決定をだすべきではないか。(無実を証明できる証拠は)下山鑑定だけでなく指紋やスコップ、筆跡鑑定でも(無実が)明らかになっている。裁判所にある数々の証拠を鑑定すれば無実は明らかになるが裁判官は一切せず、弁護士の鑑定を待っている状況にある。司法は無実を知っていながら法を侵した行為は許せない。 松山事件では死刑確定後に、証拠とされた男性の掛け布団の血痕が一回目と二回目の家宅捜索の時の写真をみるとちがうことが明らかになり、無罪を勝ち取っている。狭山事件では事件翌日に被害者の家に住み込みで働いていた人が農薬で自殺してしまったが、事件から一ヶ月前におきた誘拐事件で犯人を取り逃がした県警は「狭山事件だけは生きた犯人を捕まえる」といったので被差別部落の私が犯人とされた。何か事件が起きると被差別部落の人が犯人とされてしまう。解放同盟が裁判支援団体に入ってくれたおかげで同和地区に生まれたことがわかった。小さい頃学校へ行くたびに石を投げられたり桑畑の棒でなぐられた。集団で学校へ行かないとなぐられるのは部落差別によるものだということがはじめてわかった。裁判官は権力に軸足を置いている。無罪を勝ち取るまでには率先して闘っていく。石川一雄のようなえん罪被害者を二度と起こさないためにも生涯、元気で差別をなくす運動に関わっていきたい。

 

〇東住吉えん罪事件で再審無罪を勝ち取った青木惠子さんが報告。 

  1995年に自宅土間兼車庫付近から出火し入浴中だった長女が逃げ遅れて亡くなる。青木さんは内縁の夫と共に保険金目当ての放火殺人とされ、20年の獄中生活のあと、再審によって無罪を勝ち取る。現在は大阪地裁で国家賠償請求訴訟を提訴。全国各地でえん罪事件について訴えている。青木さんは突然亡くなった娘の死に耐え切れないほどの悲しみの中、警察から出火原因を聞けると思い事情聴取に協力し任意同行したが密室の取り調べで「やっていない」といっても信じてもらえず、ウソの自白に追い込まれた様子を語った。内縁の夫の自白にそって再現実験をおこなった結果、自白通りに実行するのは難しく、無罪を勝ち取るが、無罪判決は当たり前で喜びもなかった。

 青木さんは3年間の高校生活の時に毎日電車の中から矢田を通るとグランドに「石川さんを返せ」と書かれているのを見ていた。狭山事件のことは知らず、誘拐事件と思い関心を持たなかった。あの時もっと関心をもっていればえん罪事件がどういうものなのかということが分かったのではないか。多くの人はやってなければやってないといえばいいと思い込んでいるが、あの取り調べで言い続けることは難しく経験してみないとわからない。えん罪は本人だけでなく家族の人生もくるわせてしまう。えん罪をなくすために体験を語り続けるとともに私が死んだときに娘に会って一生懸命やってきたよといえるようにがんばりたい

 


中山武敏弁護士「人間に光あれ」出版記念会INOSAKA

狭山事件の主任弁護人である中山武敏弁護士の自伝「人間に光あれ 差別なき社会をめざして」の出版記念会inOSAKAが2019年8月5日に大阪市のホテルでひらかれ、中山弁護士の家族や石川一雄さん、小林節さんや支援者など75人が参加しました。

 中山先生は、被差別部落に生まれ育ち、夜間高校、夜間大学で苦学して司法試験を突破し、弁護士となられてからは、人権を守るためのさまざまな活動にかかわってこられました。本書は狭山事件とのかかわりや裁判闘争についても書かれています。

記念会でご挨拶された方々のメッセージを紹介します。

石川一雄さんは拘置所にいた時に中山弁護士の父親が何度か面会に来てくれて刑務官に頭を下げるなと起こられたエピソードを紹介し、「中山先生のおかげでこのように元気に闘えている。申し訳ないのはこんなにご尽力いただいたのに無実を勝ち取れないこと。これからも狭山にとりくんでいただきたい」。早智子さんは「先生は狭山の闘いやあらゆる差別をなくし人権を守る中心にいる。厳しい闘いが続くが一日も早く再審開始を目指してこれからも元気でいてほしい」。

 

 小林節弁護士は「40を過ぎた時から自分で正しいと思うことを言うべきときに言えなかった悔しさがあった。ある時から、殺されてもいいから一度自分で正しいと思うことを言いきって死にたいと決意した時に中山先生と出会った。苦労の中勝ちぬいたから、私の知る限りこんなに怖い人はいない。この人に大事にされたらこんなに温かい人はいない。中山先生みたいに強い人になりたいし、優しく人を支える人になりたい。自信を持って生きていきたい。中山先生との出会いが私の転機となった」。

 

中山弁護士があいさつで「本書は小林先生の発案で出版することができた。私にとっても宝物のような本ができご尽力に感謝している」とのべ、拘置所からの石川一雄さんからの手紙を紹介し「胸を強く揺さぶられ私の弁護士としての原点になっている。本を読み終えた読者から『狭山事件が今までよくわからなかったが本当にえん罪だと思う』などの感想が届いた。人生の中で多くの素晴らしい出会いに恵まれた。社会の根っこから差別撤廃をめざしてこれからも歩き続けたい。懐かしい顔に出会えた。みなさんの友情に感謝している」とお礼の言葉をのべました。



石川さんは無実          小室等さんも応援

 

 第3回狭山事件の再審を実現しよう市民のつどいin関西「闇から希望をつなげて~狭山事件と清水(袴田)事件トーク&ライブ~」が20192月17日の日曜日に阿倍野区民センターでひらかれ、会場には立ち見が出るほど大盛況でした。

 一部では部落解放同盟大阪府連の高橋定副委員長が地元あいさつのあと、本田哲郎さんが釜ヶ崎からみた狭山事件をテーマに記念講演をおこないました。

 石川一雄さんはあいさつで参加者へお礼をのべ「裁判官がどのような姿勢で結論をだすかその時期に来ている。裁判長の判断で結論を出せるはずであるが、権力に傾きなかなか再審開始決定をしようとしない。科学の力、医学の進歩によって無実は明らかになった。現在にたっても再審しようとしない。今でも裁判官は法務省の判断を仰がないといけない状況にあるのではないか。被差別部落に見込み捜査をかけ4人がつかまり一番の無知だった私が逮捕された。刑務官に文字を教えてもらったおかげで字を学ぶことができ心が豊かになった。80歳になったがまだまだ。100歳までがんばりたい。無罪を勝ち取ったときから本当の第二の人生がはじまる」などと支援を呼び掛けました。
 
石川早智子さんは袴田巌さんが保釈されたあとに石川さんと対面したときの様子を語った。
「いわちゃん、一雄だ。わかるか」と石川さんが聞くと袴田さんは「お父さん?」と聞いた。

死刑囚時代に袴田さんと石川さんはともに独房にはいり、行き来する中だった。当時、石川さんの独房に飾られていた両親の写真を思い出し、40年ぶりにあった石川さんのことを袴田さんは石川さんの父親だと勘違いして発した言葉だった。

 袴田秀子さんは巌さんの近況を語り「2014年3月23日に釈放されたときは本当にうれしかった。47年7か月の刑務所生活を続けてきたがその日その日を一生懸命生きてきたので月日を勘定することがなかった。出てきてまもなく5年。その間に生活様式をみているとさぞかし苦しかったろう。自由は何もなく押し込められてよくぞ生きてくれた。今でも長年の拘禁生活が影響し、精神的にはまだまだ刑務所のまま引きづっている。今は街のなかを歩きまわるのを仕事にし、自由を味わっている」などとのべました。

 第二部では小室等さん、アカトバリさん、カオリンズさんによるライブ演奏。 最後に「狭山事件再審引き伸ばし?袴田さん再審取り消し?そうはいくかよ!!」プラカードを持ち訴えました。市民の集い実行委員会の山中秀俊さんがまとめあいさつをおこないました。

道行く人に無実を訴え

 狭山事件の再審実現の実現に向けて大阪東南フォーラム平和・人権・環境が6月28日、天王寺駅前で街宣行動をおこないました。

 「脅迫状の筆跡が99.9%の確率で別人」と書かれたビラ入りティッシュを道行く人に500枚配布し、事実調べ・再審実現を訴えました。

 受けとった人の中には、「狭山事件はまだやっているのか」、「狭山事件を知っている」という声が寄せられました。


現地調査で石川さんの無実を確信

狭山現地調査を2018年17日に実施し、石川一雄さんの自白に沿って事件当日に被害者と出会った地点や犯行現場とされた場所などへフィールドワークをおこないました。
 石川さんの有罪を裏付ける証拠はなく、不自然な点が多く、どう考えても石川さんは犯人じゃないことを確信しました。

 

 フィールドワーク終了後、集会場所へ移動し石川一雄さん早智子さんと交流を深めました。

 事件当時、身代金の引き渡し場所へは兄の六造さんの地下足袋をはいてとりにいったことになっていますが、石川さんの足のサイズは25センチで兄は23,5センチと兄よりも大きく、兄の地下足袋を履くことができませんでした。

 石川さんは「2年前に同じサイズの地下足袋をはいてみたが履けなかった。裁判所に保管されている地下足袋を履けば事実がわかるはず」とのべました。
 石川さんは袴田事件で再審開始決定が取り消されたことについて「袴田事件は誰もが勝つと思っていた。裁判長が判断する当日に布川事件の桜井昌司さん、足利事件の管家利和さんとともに書いた「検察の抗告を棄却する」幕を作り掲げる予定だった。1974年の寺尾判決を受ける当日も多くの人が100%無罪だと信じていたがあのような判決になってしまった。袴田事件も有罪な証拠が出されているが裁判長は権力に向いてしまった。狭山事件でも無実を証明できる証拠がいくつも出ている。一刻も早く糾明のための裁判をひらいてほしい」と支援を訴えました。

 「一日3万歩もあるいている。元気な間に集結させたい。多くの団体が現地調査に出向いてくれて無実を確信してくれている。完全な無実が証明されるように今後も声を上げ続けていきたい」などとのべました。

 

 

脅迫状は99.9%別人! 難波で訴え

 

 2018518日に難波の高島屋駅前で街宣行動をおこないました。労働組合や部落解放同盟などから30人以上の方が協力していただき、ビラ入りティッシュを3000個配布しました。

 犯人が書いた脅迫状の筆跡と石川さんの筆跡をコンピューターを用いて照合し、99.9%ちがうことを明らかにした鑑定結果を紹介したビラ入りティッシュを道行く人に配布しました。

 

署名に協力してくれた方からは「え!まだ解決してないん?」という驚きの声や「DNA鑑定はまだやってないの?すれば明らかやのに」といった声が寄せられました。

事件から55年、早いこと、再審開始の実現を。



一日も早く再審開始を 青年共闘が狭山学習会

狭山事件の学習会が2018年5月10日に大阪市港区のHRCビルでひらかれました。組合や部落解放同盟などで構成する部落解放大阪青年共闘会議の主催です。学習会には20代、30代の青年30人が参加し、部落解放大阪府民共闘会議の山根健二事務局次長を講師に狭山事件について学びを深めました。

 部落差別によって石川一雄さんが暮らす地域に見込み捜査をつけた警察が別件逮捕で石川さんを拘束し、長期にわたる取り調べでウソの自白へ追い込んだこと。逮捕当時の新聞記事には石川さんの暮らす地域を「犯罪の温床」など差別意識をあおる悪質な内容の記事までありました。

 

 

  第3次再審で裁判所、検察、弁護団による三者協議がはじまり、これまで190点以上の証拠が開示され、それらをもとに弁護団は新たに新証拠を提出し続けています。

 講師の山根さんは「事件から55年が経過し、石川さんは高齢です。一日も早く無実を勝ち取るために多くの支援の輪をひろげてほしい」と呼びかけました。

 参加者からは「狭山事件のことを深く学べて良かった。無実を証明できる証拠がいくつもでてきているのに再審をはじめようとしない司法制度はおかしい」などと多くの意見がかわされました。

 



石川一雄さんが来阪

〜今こそ再審無罪を勝ち取るために〜泉州狭山連続学習会のが月2日に和泉市立人権文化センターでひらかれました。主催は泉州ブロックの各支部や共闘関係で構成された実行委員会です。

 中央本部の安田聡さんが進行をつとめ、石川一雄さんが事件当時に犯人とされたいきさつや現状などについて語った内容を紹介します。

 

事件発生から二週間後、石川さんが元働いていた養豚場の関係者が調べられるなど、警察は被差別部落に見込み捜査をおこなっていました。逮捕当時は差別的な報道が連日くり返されました。

 別件逮捕されたのち、石川さんはウソ発見器に二回かけられました。石川さんと同じく布川事件、足利事件で犯人とされた桜井さん、菅家さんもウソ発見器にかけられています。「真実が明らかになる」と喜んで受けましたが翌々日に「犯人だとでたよ。」と警察に言われ、心が折れてしまいウソの自白に追い込まれてしまったと言います。石川さんはそれでもやってないと言い続けました。

 石川さんは一度釈放されましたがその後、警察署の玄関を出てすぐに再逮捕されます。裏口から連れ出し狭山警察署から川越警察署の誰も使っていなかった建物に入れられ、長い間、家族や弁護士との面会は接見禁止されました。

被差別部落に生まれた石川さんの子どもの頃の生活は厳しく、石川さんの父親は部落であるがゆえに定職につく機会を奪われ、農家の仕事の手伝いなどにつきます。当時、部落差別は厳しく、給金を直接手渡しでもらえず、皿にいれたお金を受け取るほどでした。被差別部落のほとんどの子どもが中学を卒業していませんでした。小学校でつかう文房具をそろえることができず、野良仕事を手伝うので学校で寝てしまい、学習できる環境になかったのです。

 お兄さんが働きにでて、貧しかった生活が変わってきた段階の時でした。兄が逮捕されるとその生活が奪われ、みんなが路頭に迷ってしまう。石川さんがウソの自白に至った理由は部落差別の実態をふまえて考えなければ理解できないと思います。ウソの自白のあとに死体遺棄の方法について説明ができません。取り調べを受けたときの関巡査にきてもらい「死体がどうなっていたか教えてほしい」と死体の状況を聞いたとする関巡査の報告書が47年ぶりに証拠開示されました。石川さんが犯人でないことは明らかです。

 石川さんが文字を書けるようになったのは無実を信じて8年間も文字を教えてくれた看守さんがいたからです。看守さんだけでなくそのパートナーが切手や筆記用具を差し入れてくれました。今も親戚以上のお付き合いをしています。石川さんは集会に参加した方々に対して「感謝しきれないほど心強く思う。自白してしまったために長い年月、たいへんご迷惑をかけている。ご期待に添えるように刑務所で過ごした年月の35年間生きたい。4回目の二十歳が来るまでに勝ちたい。無実を勝ち取ったときには夜間中学へ通いたい。無罪になるように一層のご支援をお願いしたい」とのべました。

 

 行動提起で森尚樹・和泉支部長は「狭山事件は部落差別によって生まれたえん罪事件。石川さんだけの問題ではなく部落解放を実現しようとする私たちのとりくみでもある。情勢を見守るだけでなくひとりひとりが考えていきたい」とのべ、狭山事件の問題をひろく周知させるために街宣行動、SNSなどを用いて拡散していく。署名、要請はがきや各地でパネル展示、学習会などにとりくむことを確認しました。