道行く人に無実を訴え

 狭山事件の再審実現の実現に向けて大阪東南フォーラム平和・人権・環境が6月28日、天王寺駅前で街宣行動をおこないました。

 「脅迫状の筆跡が99.9%の確率で別人」と書かれたビラ入りティッシュを道行く人に500枚配布し、事実調べ・再審実現を訴えました。

 受けとった人の中には、「狭山事件はまだやっているのか」、「狭山事件を知っている」という声が寄せられました。


脅迫状は99.9%別人! 難波で訴え

 

 2018518日に難波の高島屋駅前で街宣行動をおこないました。労働組合や部落解放同盟などから30人以上の方が協力していただき、ビラ入りティッシュを3000個配布しました。

 犯人が書いた脅迫状の筆跡と石川さんの筆跡をコンピューターを用いて照合し、99.9%ちがうことを明らかにした鑑定結果を紹介したビラ入りティッシュを道行く人に配布しました。

 

署名に協力してくれた方からは「え!まだ解決してないん?」という驚きの声や「DNA鑑定はまだやってないの?すれば明らかやのに」といった声が寄せられました。

事件から55年、早いこと、再審開始の実現を。



一日も早く再審開始を 青年共闘が狭山学習会

狭山事件の学習会が2018年5月10日に大阪市港区のHRCビルでひらかれました。組合や部落解放同盟などで構成する部落解放大阪青年共闘会議の主催です。学習会には20代、30代の青年30人が参加し、部落解放大阪府民共闘会議の山根健二事務局次長を講師に狭山事件について学びを深めました。

 部落差別によって石川一雄さんが暮らす地域に見込み捜査をつけた警察が別件逮捕で石川さんを拘束し、長期にわたる取り調べでウソの自白へ追い込んだこと。逮捕当時の新聞記事には石川さんの暮らす地域を「犯罪の温床」など差別意識をあおる悪質な内容の記事までありました。

 

 

  第3次再審で裁判所、検察、弁護団による三者協議がはじまり、これまで190点以上の証拠が開示され、それらをもとに弁護団は新たに新証拠を提出し続けています。

 講師の山根さんは「事件から55年が経過し、石川さんは高齢です。一日も早く無実を勝ち取るために多くの支援の輪をひろげてほしい」と呼びかけました。

 参加者からは「狭山事件のことを深く学べて良かった。無実を証明できる証拠がいくつもでてきているのに再審をはじめようとしない司法制度はおかしい」などと多くの意見がかわされました。

 



石川一雄さんが来阪

〜今こそ再審無罪を勝ち取るために〜泉州狭山連続学習会のが月2日に和泉市立人権文化センターでひらかれました。主催は泉州ブロックの各支部や共闘関係で構成された実行委員会です。

 中央本部の安田聡さんが進行をつとめ、石川一雄さんが事件当時に犯人とされたいきさつや現状などについて語った内容を紹介します。

 

事件発生から二週間後、石川さんが元働いていた養豚場の関係者が調べられるなど、警察は被差別部落に見込み捜査をおこなっていました。逮捕当時は差別的な報道が連日くり返されました。

 別件逮捕されたのち、石川さんはウソ発見器に二回かけられました。石川さんと同じく布川事件、足利事件で犯人とされた桜井さん、菅家さんもウソ発見器にかけられています。「真実が明らかになる」と喜んで受けましたが翌々日に「犯人だとでたよ。」と警察に言われ、心が折れてしまいウソの自白に追い込まれてしまったと言います。石川さんはそれでもやってないと言い続けました。

 石川さんは一度釈放されましたがその後、警察署の玄関を出てすぐに再逮捕されます。裏口から連れ出し狭山警察署から川越警察署の誰も使っていなかった建物に入れられ、長い間、家族や弁護士との面会は接見禁止されました。

被差別部落に生まれた石川さんの子どもの頃の生活は厳しく、石川さんの父親は部落であるがゆえに定職につく機会を奪われ、農家の仕事の手伝いなどにつきます。当時、部落差別は厳しく、給金を直接手渡しでもらえず、皿にいれたお金を受け取るほどでした。被差別部落のほとんどの子どもが中学を卒業していませんでした。小学校でつかう文房具をそろえることができず、野良仕事を手伝うので学校で寝てしまい、学習できる環境になかったのです。

 お兄さんが働きにでて、貧しかった生活が変わってきた段階の時でした。兄が逮捕されるとその生活が奪われ、みんなが路頭に迷ってしまう。石川さんがウソの自白に至った理由は部落差別の実態をふまえて考えなければ理解できないと思います。ウソの自白のあとに死体遺棄の方法について説明ができません。取り調べを受けたときの関巡査にきてもらい「死体がどうなっていたか教えてほしい」と死体の状況を聞いたとする関巡査の報告書が47年ぶりに証拠開示されました。石川さんが犯人でないことは明らかです。

 石川さんが文字を書けるようになったのは無実を信じて8年間も文字を教えてくれた看守さんがいたからです。看守さんだけでなくそのパートナーが切手や筆記用具を差し入れてくれました。今も親戚以上のお付き合いをしています。石川さんは集会に参加した方々に対して「感謝しきれないほど心強く思う。自白してしまったために長い年月、たいへんご迷惑をかけている。ご期待に添えるように刑務所で過ごした年月の35年間生きたい。4回目の二十歳が来るまでに勝ちたい。無実を勝ち取ったときには夜間中学へ通いたい。無罪になるように一層のご支援をお願いしたい」とのべました。

 

 行動提起で森尚樹・和泉支部長は「狭山事件は部落差別によって生まれたえん罪事件。石川さんだけの問題ではなく部落解放を実現しようとする私たちのとりくみでもある。情勢を見守るだけでなくひとりひとりが考えていきたい」とのべ、狭山事件の問題をひろく周知させるために街宣行動、SNSなどを用いて拡散していく。署名、要請はがきや各地でパネル展示、学習会などにとりくむことを確認しました。